2人がダメになるのを待っていた。

 

 

2019年のはじめ、当時付き合ってた人と、通称イエメンと旅行に行った。なんとなく「これが最後の旅行になる」予感がしていた。それから1ヶ月も経たないうちに、私が振られる形でお別れになった。友達や同僚に話を聞いてもらっても涙は止まらないし、寝ようとしても目を閉じるたびに楽しかったことがフラッシュバックしてきて眠れないし、仕事中も気を抜いた途端に涙ぐんでトイレにこもるなんてこともあった。

 


わたしは彼を、運命の人にできなかった。

 


出会いはバイトだった。2017年の夏、就活が終わってバイト復帰したら新しい人が何人かいて、そのうちの1人がイエメンだった。(イエメンってあだ名は当時のわたしが「バイト先のイケメンにパン貰った!」だの「バイト先行ったらイケメンが仕事終わらせてくれててやることなくて暇でワロタ」だのツイートしてたときにイケメンをイエメンと打ち間違えたことで生まれた)

 


イエメンとは母校が同じで、歳も近くてすぐに仲良くなった。イエメンには彼女がいたし、わたしもサークルのギタボ男子が好きだったから「かっこいいひとと働けてラッキーラッキー」くらいにしか思ってなかった。でも知らない間にイエメンは彼女と別れ、クリスマスに誘われ、共通の趣味カメラが発覚し江ノ島まで写真を撮りに行き、柚子胡椒のから揚げ美味しいですね!なんて言ってたら告白されて付き合うことになった。それからというもののわたしは、イエメンとLINEしたり電話したりデートしたり、順調に日々を過ごしていた。ように思えたが、実際はサークルのギタボ男子を諦めきれずにいた。

 


サークルのギタボ男子には学生時代2年くらい片思いしてた。いっかい付き合ったけど(正確には2回)嘘ついて女の子と遊んでるし、他での発言とわたしへの扱いが全然違うし(俺は彼女大事にするよ、俺は彼女いたらほかの子と遊ばないし遊ぶとしてもちゃんと許可とるよ、とか)全然幸せじゃなかった。なのに何も言えなかった。何も言えず自分が勝手に変な気を使いすぎて全然楽しめなくて自滅、そのくせ、サークルで顔を合わせるしLINEもくるし、諦めかたが分からずズルズルと好きでいた。(いま思うとただの執着だわ)

 


そのズルズルがイエメンと付き合いつつも続いていた。2人を天秤にかけて、グラグラ揺れてどちらも振り落とせない弱い自分が嫌だった。だけど、その不幸から抜け出して、幸せになるのも怖かった。 不幸に思える恋愛に慣れてたから。イエメンに冷たく当たったり、ギタボ男子に感情的になったり、そんな時期もあった。(マジでくそだな)

 


社会人になって3ヶ月くらい経ったころ、ギタボ男子に彼女ができた。サークルの後輩だ。本当に情けないし申し訳ないしクソだけど、そこでやっとわたしはイエメンと向き合わなきゃいけないことに気付いた。というか、いきなり天秤の片方がなくなったことで、向き合わざるをえなかった。天秤って重いほうがいいんだっけ軽いほうがいいんだっけ。そこに善悪はないか。ここまでがイエメンと付き合ってから半年くらいまでの話。

 


2人に割り当ててた熱量がおのずとイエメンに向くようになって、ギタボ男子への無駄な執着も消えて、こう表現するのもどうかと思うけどわたしは心が穏やかになった。わたしの態度の変化に気付いたイエメンは嬉しそうだったし、わたしも幸せだった。愛し愛されるとはこのことか!って思った。でもやっぱりここでも、ここでも幸せを怖がってしまう弱いわたしが出てきた。

 

「この人は本当にわたしのことがすきなのかな」「この人は本当のわたしを知ってもすきでいてくれるのかな」そんな考えがどうしてもよぎってしまう。相手に間違った気を使って、勝手に自分を見繕って、勝手に疲弊して自滅する、こういった恋愛に慣れていたわたしは、当時もそれを発揮してしまった。うける!

天秤にかけてたふたつがひとつに集中し、その重さとイエメンの仕事の忙しさが相まって、どんどん距離が離れていくことになる。イエメンに執着したわたしは仕事が忙しいって言葉も信じられなくなる。勝手に悩んで勝手に落ち込んで、この時期にイエメンへその負の感情をぶつけたかどうかは覚えてないけど隠したところで伝わってたと思う。

 


もうダメだな、終わっちゃうんだろうなって時期が何ヶ月か続いた。LINEはしてるけど、おはようおやすみ、それくらい。ありがたいけど寂しかった。ありがたさより寂しかった。会ってもつまらなそうだし、寝てたし。(そうさせてたのは自分だなって思うよ、こんな負のオーラまとったひとと会っても楽しめないわよ)

 


別れてやる!いや無理!そう思い始めたとき、イエメンが部署異動になった。「あぁ、本当に今の部署がしんどかったんだな」って、そこでやっと仕事が忙しいって言葉を信じた。と同時に、わたしの存在も負担になってたのかなって思った。負担になってたかもしれない、そう考えること自体、自意識過剰かもしれない、もう少し癒せる存在でありたかった、なんてことがぐるぐる頭を巡った。とにかく、イエメンが少しでも楽になればいいなって、そう思った。

 


「遠距離になるけど、なしちゃんどうしたい?」「わかんないけど、とりあえず付き合い続けようよ。それでダメになっちゃうなら遠距離にならなくてもダメになるだろうし」そんなやり取りを電話でしたことを覚えてる。もうじゅうぶんダメになってたのに。延命措置みたいだ。そう思ったのも、はっきり覚えてる。それが、付き合って1年ちょっと経った時の話。2018年の、はじめごろ。

 


4月にイエメンが島に引っ越して、ちょっと遠距離になった。元々自然が好きだったイエメンはそれだけで癒されただろうし、仕事もそこまで忙しくなかったみたいで、下旬に会ったときすごくイキイキしてた。よかった。そのあとも月に1回くらいは会ってた。LINEもしてるようなしてないような。島での生活を楽しんでる様子が、LINEからも、会ったときからも、なんの連絡もない空白の時間からも伝わってきた。元気になったイエメンを見て、今までお仕事を頑張りすぎたイエメンに負担をかけちゃいけない、へんに不安を抱いちゃいけない、わがままを言ってはいけない、そんなことばっかり考えてた。でもやっぱり会えなくて寂しいもんは寂しいしLINEだってしたいし声も聞きたい。小出しに伝えてはいたけど、その感情をぶつけてしまったのが10月。

 

 

「わたしはもっと楽しかったこととか共有したいんだけど、どうしたらいいのかな」伝えながら泣き出したわたしに、「どうして今日楽しかったのに、最後にそんなこと言うの」と言ってイエメンは黙り込んでしまった。話し始めたタイミングも悪かったかもしれない、涙を流したのがいけなかったのかもしれない、もっと、冷静沈着に話せばよかったのかもしれない、伝えるんじゃなかった、そんな後悔をかかえて、トイレで泣いた。もう無理だった。なのに、馬鹿なわたしはここでも別れる選択肢を選べなかった。この件で、わがままを言ってはいけない、不安を伝えたらいけない、そんな間違った意識を自分に刷り込み、つらい気持ちさみしい気持ちを振られるまで飲み込み続けた。クリスマスと2年記念旅行を終えて、わたしたちは終わった。

 


「もうこれ以上なしちゃんのこと好きになれないと思った。」「なしちゃんを傷付けないように、って思って、考えてることとか全然言えなかった」

 


何言ってんだこいつって思ったけど、わたしもイエメンに嫌われたくない、負担になりたくない、そう思って全然考えてることを伝えられなかった。向き合ってもらえなかったことがあったからって、そこでもう飲み込む決意をして、向き合うことから逃げてた。お互いがお互いと向き合うことから逃げてた。お互い、歩み寄る努力をしなかった。運命の人にしようとしなかった。そんな2人がダメになるなんて至極当然の結果。今年の1月だったか2月だったか、振られて、別れて、安心した自分がいた。

 


わたしはどこかで2人の関係がダメになるのを待ってた。

 


反省点は沢山ある。そもそもイエメンと付き合うって決めたならギタボ男子ともちゃっちゃと縁を切れって話だし(できなかったのはこれまでの時間が無駄になっちゃう、ギタボ男子を裏切ることになる?という罪悪感、そんなのぜんぶ、いたって幻想)、寂しいなら寂しくない相手を選べばいい話だし、もっと、恐れずに自分の気持ちや、したいことを伝えればよかった。向き合うための行動を諦めずにとればよかった。会えて嬉しいって喜べばよかった寂しいって泣けばよかった、もっともっとわがままになればよかった。もっともっと、労わってあげればよかった信じてあげればよかった。別れを告げられたとき「この2年間はなんだったんだ、裏切られた」なんて一瞬思ったけど、裏切られるも何も信じてなかった。イエメンのことも、わたしのことも。

 


「これを言ったら嫌われちゃうかな」「これを言ったらどう思われるかな」相手に嫌われたくないっていう気持ちを優先して過ごしてた。相手の顔色ばかり見てた。わたしが何を言っても嫌うか嫌わないかは相手が決めることなのに。どう思うかなんてわたしには分からないのに。分からないことをあれこれ悩んで自分の感情を押し殺しては、疲れてた。嫌われたら嫌われたでそれでいいのに。ありのままのわたしを好きになってくれないひとなんて、わたしの人生にいらないのに。「本当のわたしを知っても好きでいてくれるのかな」そんなことを考えておきながら、本当のわたしを、知ってもらおうとしなかった。だって嫌われたくないから。本当のわたしを出したら嫌われるなんてただの被害妄想でしかないことに、あの頃は気付けなかった。

 


わたしはわたしが幸せにする、わたしが選んだ相手と向き合う覚悟をする。そんな初歩的なことを忘れていたのが、イエメンとの恋愛だった。

 


自分の気持ちを押し殺しすぎたせいで、自分の幸せが分からなくなってしまった。

 

 

自分を取り戻すためにやりたいことやってみよう!!やりたくないことやらないでみよう!!そんなことを思って、気が乗らないお誘いを断ってみたり、逆に行ってみたり、ペアーズを始めてみたり(?)考えを伝えることを意識してみたり、わがまま言ったりしてみた。Twitterでうわー!素敵!可愛い!って思った人のセミナーに行ったりもしてみた。食生活も意識するようにしてみた。会いたくないなって思ったひとをブロックしてみた。高校生のときから気になってたよさこいを始めてみた。LINEスタンプを作ってみた(これがまじで可愛い)。必要か必要じゃないか選ぶ意識を持ってみた。どれもこれも、楽しかった。自分を大切にしてる気持ちになれた。そんなこんな過ごして、最近やっと気付いた。

 


辛い恋愛をすること、辛い気持ちになることを、自分が選んでた。

 


ここまで読んでくれた人がいるかわからないけど、「なんでこんなにこじらせてんの!?」ってひともいれば「あ~わかるわかるしんどいよね…」ってなるひともいると思う。正解基準なんてないしさ、僕も知らない(突然のユニゾン)けど、自分がどんな気持ちになりたいか?って、自分で選べるんだと思う。辛い気持ちになりたいから辛い気持ちを選ぶ。幸せな気持ちを選びたいから幸せな気持ちを選ぶ。どっちもメリットデメリットがあって、どっちを選ぶかは自分。その選択をして、責任を取るのも自分。

 

当時のわたしは、つらい気持ちでいるほうが思考停止できるし、イエメンに構ってもらえる、って思ってたからそっちを選んだ。幸せになれる方法を探して選んだとして、その幸せを失うのが怖かった。わたしが幸せになったら、よく思わない人がいると思ってた。それがわたしにとって、つらい気持ちを選ぶメリットだった。だから辛い辛いって言ってても、そんなんただの一人芝居だった。それなのに優しく話を聞いてくれてたお友達には感謝しかない。

 


辛い気持ちを選んじゃうひとは、そんなことない!辛いほうをわざわざ選ぶわけない!って思うかもしれない、わたしもそう思ってたし、辛いほうを選んじゃう気持ち、痛いほどわかる。選べるんだよなんて言ってても、もしかしたらいまも、辛いほうを選んじゃうかもしれないし、進行形で選んでるかもしれない。

 


でも、わたしはちゃんと、わたしらしく幸せになりたい。2020年は、もっと自分と向き合って、周りを大事にして、自分の幸せを見つけてしっかりと掴んでいきたい。思考停止せずに、進んでいきたい。やりたいことをやっていきたい。誰かに嫌われるかも、なんて思わずに、わたしはわたしの人生を歩みたい。イエメン、そのことに気付かせてくれてありがとうね。幸せになってねと言いたいところですが正直もうあなたの幸せにも不幸にも興味がありません。

 

 

 

懺悔と供養と決意表明でした。ここまで読んでくれて、ありがとうございます。

 


来年も、たくさんお世話してくださーい!